過去と現在のあわいで
会えないことはつらくはなかった。
合わないことがつらかった。
ままならなさの中で「愛をいかに保つか」という課題に、直面し続けた一年だった。
ひとたび愛を自覚した対象を、以前と変わりなく愛すること。
理屈っぽくて頑固で潔癖症な私には、とても難しいことだった。
何を見ても聞いても「あ、私のマイルールとは違うな」「ちょっと無理かも」と感じることがすごく増えた。
性分ゆえに昔からそういうことはしばしばあったけど、すごく増えた。
特にこれを感じるようになったのは、秋頃からだっただろうか。
自分の価値観にマッチしないと感じてしまった、その事実をなかったことにはできない。これもまた性分ゆえに。
愛している対象に「合わないな」と微塵でも感じてしまったその後も、それでも合わないその対象を好きでいられるか? 居続けられるか?
愛だと自覚する前にこんなふうになっていたら、何も悲しくも惜しくもなかったかな。
「愛は祈りだ。」というある小説の一節がずっと好きで、そのとおりだなと折に触れて思うのだけれど、今はもう誰に何を祈ったらいいか分からないな。
頑固な割に臆病な私は、結局、人も物も何に対しても自分の態度を決めかねて、ただ黙って距離を置くことを選んだ。きっぱり決別することもできずに。
勝手に失望しただけの話と言ってしまえばそれまでで、実にみっともない。
ものごとの明るくて楽しい面にもっと目を向けて、いろんなコンテンツを享受できたらいいのにと当てつけではなく思う。ほとんど切望と言ってもいい。
今年の1月までが、ぎりぎり「今までどおり」に生活できていた時期だった。
それからのことを、過去とも現在ともくくりかねている。
春先なんてもうすっかり過去のようにも感じられるし、つい最近、現在のようにも感じられる。夏はどうだったっけ。秋は。冬は。いつからこうも行き詰ったかんじになっちゃったんだっけ。
あと数分で2020年が終わる。
年が明けてもきっと私は、ままならなさの中で「愛をいかに保つか」という課題に、まだ向き合わなくてはならないだろう。
なんだかんだ、まだ好きで、困ってしまうな。