職場のデスクにアクスタを置く話 あるいは置けない話

職場のデスクという汽水域

オタクとしての私。勤め人としての私。ワークライフバランス。そういったことを考える時、職場のデスクという場所はある種の汽水域だ。
支給されている端末や書籍の傍らに、備品以外の文具だとかちょっとした飾り物だとか、ある程度の私物は置くことができる。キャラクターもののペン立てを置く人もいれば、家族やペットの写真をほんの一葉二葉飾る人もいる。仕事をする空間でありながら各人のプライベートの側面が垣間見え、混じり合う、そんな「私」と「私」の汽水域たるデスクの隅に何を置くか。何を置けるか。

私物の文具は別として、現在私がデスクに置いている「非実用的」なものは一点だけ。アニメキャラのアクスタだ。見たことのないアニメの。職場の人が「だぶったからあげる」と言ってくれたのを、なんとなく置いて以来そのままにしている。集めるだけ集めて「飾る」発想がなかったらしい当の本人(アニメオタクというわけじゃない、その作品のごくライトなファン)は「え、置くんですか?そこに?本気ですか?*1」などと言っていた。

積極的に何か置きたかったというよりは、「オタクのデスクってこんなかんじでしょ?」と、ある種の物真似のようなつもりでそこに配置したら妙にしっくりきてしまって、以来そのままにしている。感覚としては、面白半分にいわゆる量産型のメイクやファッションを真似てみるような遊びに近い。

あとは、「私ってこういうデスクに抵抗のないタイプの人間なんですよー」というのをさりげなくアピールしたかった、というのもある。職場での適度な自己開示の一環として「アイドルの追っかけしてるんですよ~」くらいのことはしばしば口にしていたが、これを単なる「適度な自己開示のつもり」と知ってか知らずか、妙につっかかってくる人がいて、やれ「○○さん(私)はイケメンが好きなんでしょ?」だの、やれ「××さん(同僚)って今日は舞台見に行くから早退するそうですよ、物好きですね」だの、薄ら笑いを浮かべて話しかけてくるのだ。うっとうしい。この手の品性下劣な人に対して、うるせえこちとらこのくらいの行動は屁とも思ってねえんだこれでビビる程度の非オタはすっこんでな、と行動で示して静かに威嚇したかったのである。

そしてある時考えた。推しのアクスタはどうだろう? 私は自分のデスクに本当の推しのアクスタを置けるだろうか?

 

アクスタに手を出すまで

アイドルのグッズとして近年すっかりポピュラーになった「アクスタ」とか「アクキー」とか呼ばれるあれ、あれにはもともと興味がなかった。

もとより実写の推しを見るのに、静止画よりも動画の方が好きなタイプだ。それに、写真は写真の形状(L判とか2L判とか)で観賞できれば、それで十分と思っていた。厚さ数ミリのアクリル版にプリントされた状態の小さな推しには、正直なところ大して興味が持てなかったのだ。たいていの場合、その写真はアー写とかキャスト写真とかと同じもので、そういう意味では別に新規画像というわけでもなかったし。「ご飯ととるのがいいと聞きました」*2の流行は知っていたものの、そういう遊び方は自分のスタイルとは交わらないと思っていた。

が、今や私の手元には二人の推しの計4体のアクスタがある。(今後通販の品物が届くと、さらにもう少し増える。)現場に持っていく荷物のうちで、正直優先順位は高い方ではないけど、ともかく私はアクスタを愛でて持ち歩くオタクになったのだ。

購入の後押しをしたのは、それが新曲に合わせた新規画像だったことだと思う。*3
舞台に関しては記念にブロマイドが買えれば満足で、わざわざアクスタまでは買おうとしていなかった。それにそもそも舞台の登場人物は舞台の上にしか存在し得ないわけで、そこを小さな写真にしてまで持ち歩きたいとも思わなかった。
ただ、この時ばかりは、髪型やメイクのテイストが自分の好みに刺さったことと、何よりポージングがきれいだったことが決め手になった。だって手がきれいなんだもん。欲しくなっちゃうでしょこんな新規画像。「使い道ないけどまあ手元にあっても欲しいよね~いや~さすがの美しさだわ~」などと言って、推しの持ち味を存分に引き出してくれている商品に、私は喜んで対価を支払った。そう、買ったその時には「使い道はない」と思っていたのだ。持ち歩いたり、何かと撮ってそれをツイートしたり、そんなことするつもりはなかった。

 

#押絵と旅する女 ~アクスタを写真に撮ることに抵抗のあったオタクが見つけた遊び方の一例~

そんなわけで推し二人分のアクスタを手に入れた私は、親しいオタクと食事する際に使う機会があるからと、現場用の荷物に「念のため」くらいの気持ちでそれを入れるようにはなったものの、どうにもアクスタ持ち歩き文化にはまだなじめずにいた。しばらくの間は、自分から進んで食事と写真を撮ることも習慣にはならなかった。

が、昨夏、新幹線の車中で自分の趣味嗜好との合流点を思いついた。それが「押絵と旅する男*4だ。

いつものように(そう、これはいつものように)駅弁だのアイスだのとチェキを一緒に撮ってツイートする際に、ふと思いついて江戸川乱歩の傑作になぞらえて「#押絵と旅する女」というフレーズを加えた。それから「もっとも、チェキよりアクスタの方が押絵っぽいですけど。」と頭に浮かんだことをそのまま付け足した。

 

 

 

自分で言っておいて、この「押絵と旅する女」というフレーズが私はすっかり気に入ってしまった。だってこれは、まさにあの小説の中の押絵のようではないか。小さなアクリル板に、彼の2019年現在の姿かたちが美しさがハッキリと生き生きと留められているのを見て、あの押絵を連想せずにいられるものか。

それからというもの、ちょっとした距離の電車移動のたびにこの遊びをやっている。なんといっても車中でやるのが味噌だ。

 

 

 

職場のデスクに推しを迎える覚悟

アクスタの自分らしい遊び方はよくわかった。では、勤め人としての私とオタクとしての私が入り交じるデスクに、私は推しのアクスタを置くことができるだろうか?

今のところ、答えは「否」だ。私にはまだその覚悟がない。

実写もののグッズを、それも推しそのもののグッズを置くとなれば、先述したような「私がアイドルにはまっていることに対して何かとつっかかってくる人」から、今まで以上にうっとうしいことを言われるだろうなあという懸念が少しだけ。
あとは何より、「私の働きぶりは推しに見られて恥ずかしくないほどのものか?」という自問自答に、「恥ずかしくない」とはまだ言えないためだ。

なりゆきで置いているだけのよく知らないアニメキャラとは違う、他ならぬ推しのアクスタがそこにあったとして、もちろん私は背筋を伸ばして業務に励むだろう。しかしそれでも情けない話だが、自分の仕事ぶりが常に自信を持てる出来映えかといったら、敬愛する推しに対して胸を張れるものかといったら、まだ到底その域には達していない。

それから、似て非なる話として、推しを背負いながら働く覚悟が私にはまだない。これはたとえば痛バッグに代表されるような「あからさまに所有者の推しが分かるもの」を身につけて外を歩くときに、普段よりも立ち居振る舞いに慎重になるような、そんな感覚だ、たぶん。○○さんってちょっと仕事のツメが甘いんだよね、なんて思われるときに、私のデスクに推しのアクスタが乗っているようなことがあってはならないと思う。そんなことで推しのイメージを損ねたくない。

 

覚悟が決まった暁には

さて、アクスタとの馴れそめみたいなことから始めて、自分のふがいない逡巡を長々としたためてしまったけど、それでも私は、いつか推しのアクスタを人目につくところに置いてみたい。そう思っている。
この業界向いてないかもなあ……って嫌気がさすことは度々あるけど、いつか、胸を張ってデスクに推しのアクスタを置きたい。その時には、こちらから説明するまでもなく職場の人に「へえ、MeseMoa.のファンなんだ?」などど言われてみたい。ねえ、言われてみたいねえ。

 

*1:本気ですか?じゃなくて正気ですか?だったかも。

*2:ハロプロ FSK(フィギュアスタンドキーホルダー)」でググってください。

*3:なんかもったいぶった書き方しちゃったけど、平成パラダイムチェンジのアクスタです。つって、引用したツイートに移ってるの真逆の糸のアクスタばっかりだけど。

*4:江戸川乱歩押絵と旅する男」 https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56645_58203.html
乱歩の作品の中で、これがダントツに最高傑作だと私は思う。