BIG BANG BOYに会いに行く~Travis Japan初現場で寿命が延びた話~

Travis Japanに、川島如恵留さんに、心を奪われ(たことを明確に自覚し)て数か月。先日ついに初現場が叶った。

いずれいわゆる沼落ちブログも書くつもりでいるから諸々の経緯は省くとして、ともかく、記憶が薄れる前に初現場の記録を書き残しておく。

 

 

 

私が行ったのは、新橋演舞場での「虎者 NINJAPAN 2021」の東京公演。
9月の京都公演から始まっておよそ三か月間、全国四か所で開催される公演のうち、わずかに一回。FC先行分の1階席後方。
出演者を動機として舞台を観る時に、こんなにシンプルな行き方は久しぶりか、もしかしたら初めてかもしれない。
「誰々が出るから観に行く」という場合には、大抵は席種ごとに最低一回ずつ、さらに自分のスケジュールと相談しつつ可能ならもう少し増やす、これが定石だった。

 


FC先行の申込をしたのは8月半ば。COVID-19の状況としてはデルタ株が猛威を奮っていた頃、第五波の只中だった。
息の詰まるニュースを見ながら、11月では情勢的に遠征はまだできなかろう、と東京以外の会場には申込をしなかった。
東京なら。東京だけならなんとか。近場でさっと行ってさっと帰るくらいのことは、なんとか憂いなくできるようになっていてくれ。祈るような気持ちだった。
その後カード枠や一般の機会もあったが、不慣れな者が戦果を挙げるには電話でのチケ取りはあまりにも難しく、結局、行ける機会は先行で取れた一回のみ。
この「電話でのチケ取り」ってやつは今までの各現場とは全く勝手が違って、イープラやローチケが主戦場だった私にはなかなかのカルチャーショックだった。覚悟はしていたが、それにしてもこんなに繋がらないものとは。
人間は二本同時には電話をかけられないことを身を以て知った。目の前に固定電話とスマホを用意しても、両方を同時に操作するのはやっぱり無理だし、両耳から別々に話し中の音がするとわけが分からなくなる。それとも、歴戦のオタクは同時に二台くらい操作できるんだろうか。
ともあれ、これが「青封筒」ってやつかー!これが「初日特電」ってやつかー!とチケット回りの出来事がいちいち新鮮で、自分でも恥ずかしくなるくらいに心が躍った。

 


ところが当日が近づくにつれて、私はある種の現場ブルーに陥っていた。
初現場がものすごく楽しみな反面、自分のチケ取りの拙さ不甲斐なさを思ってはどうにも気持ちが曇るのだ。
COVID-19の流行以来、ライブにしろ演劇にしろ、私はもっぱら在宅の配信派だった。*1
MeseMoa.もDDベイビーズも二丁魁も、ほとんどのライブが生配信だけでなくアーカイブもあったから、一度きりの生の現場は相当に久しぶりだ。
それだけに、緊張した。失敗したくないと身構えた。
「初現場ゆえの不慣れさに飲み込まれずにいられるだろうか」
「集中してちゃんとステージを受容できるだろうか」
「昔と比べて生のステージへの感受性が鈍ってはいないだろうか」
「雑念にとらわれず後悔しない観劇ができるだろうか」
一度きりの現場だということを意識するあまり、勝手にプレッシャーを感じていたのだ。
もうちょっとうまく電話ができていたら、あるいは、勢いに任せて地方公演も申し込んでいたら。日に日に近づく現場を楽しみに思うと同時に、どうしても後悔がよぎる。
同じ舞台を複数回観る、現場でも配信でもそのスタンスに慣れすぎたがゆえのプレッシャーだった。

 

 

そうして迎えた当日。
開場時間を少し過ぎた頃、駅から劇場へ向かう途中で同じ目的地らしき女性を何人も見かけた。服装や持ち物が明確にどうこうというんじゃなく、同士らしいってことがただ雰囲気で察されるのだ。
そうだ、そういえば駅から会場までの間って、見知らぬ人でもオタクを見るとそれとわかるんだったな。アイドル現場(物理)から足が遠のいた今、この感覚は久しぶりだ。それに、女性客がほとんどを占める会場というのも、このところストリップ劇場にばかり足を運んでいた身には久しぶりだった。
辺りを見ると、ザ・ジャニオタみたいな服装の人は意外にも多くはない。幅広くいろいろな服装の人がいたし、和服姿の方も一人ならず見かけた。
もしかしたら、あの典型的ジャニオタファッションって、チェックシャツ・ケミカルウォッシュジーンズ・バンダナの秋葉原的オタク像みたいなもので、相当に誇張されているのかもしれない。そんなことを考えながら、よく晴れた週末の東銀座をしばらく歩いた。

 

 

やや後方とはいえ、新橋演舞場の1階席は、体感的にはわりとステージに近い。
顔や衣装のディテールがつぶさに見えるわけではないが、それでも不満はなかった。
なにしろ、前もって繰り返し「席がうんと後方でも落ち込まないように」と自分に言い聞かせていたのだから。
この距離でついにあの人たちを見られるんだ。幕が上がるまで、なんだかまだ実感が湧かない。そう思いながら、双眼鏡のピントを調節する。
普段の観劇なら「初回は全体像を、二回目以降は細部を見る」と押さえたいポイントを分けていたが、何しろ今回は一度きり。
倍率8倍の双眼鏡を今日はどう扱ったものか。
しばらく考えて、全体像に比重を置こうと決めた。
この距離なら表情もまあまあ見えるし、よほど細部を見たい場面以外は、私は全景の方が見たい。今まで画面で見てきた人たちが、実際の舞台で空間をどう使うのか、それを全景で見たい。
方針をそう決めてからもまだなんとなく落ち着かずに、何度も何度も双眼鏡を覗いては、ピントを微調整して開演を待った。

 

 

全ては杞憂だった。幕が上がって、ほどなくしてそう悟った。
生のステージの没入感は、私の屈託を吹き飛ばすのに十分すぎた。
直前まで拭えずにいた「私は今日の舞台を十全には楽しめないかもしれない」という心配や恐れは、まるで当たらなかった。
私は今、一切の隔てるものなく全身でエンターテインメントに触れている。目と耳と、それから座席に耐えかねてだんだん痛くなってくる腰と、全身でだ。
目。カメラを通した映像でいつもひときわ魅力的に見えた川島さん*2は、劇場でも私にはとびきりに美しく見えた。いつも「引きの映像で真っ先に目が行くのは川島さん」と思っていたけど、映像じゃなくても、カメラよりもずっと広い自分の目の視野でステージを観ても、目に飛び込んでくるのはやはり川島さんの姿だった。
耳。何度も聴いてよく知っていた曲は、劇場ではふたたび初めて聴くかのように鮮烈に響いた。歌声も台詞も、音という音がみな特別な輝きを帯びて、イヤホンを通さずに私に届く。
舞台上の彼らの動きや発声は、全てが即座に、動画編集やインターネット通信を介することなく私の目に耳に届いて、それから私の心を揺さぶった。
私、これが見たかったんだ。見たかったものの姿がようやく像を結ぶ。劇場とか現場といったものへの漠然とした愛着。それから、愛の対象になってまだ間もないトラジャ。懐かしさと新しさが同じくらいに胸に迫った。

 

こちら側の興奮がどうか少しでも伝わるといい。その一心で拍手をした。全身でエンターテインメントを受容した後、拍手だけが、客席の私にできる唯一の意思表示だった。
私はやっぱり、ステージの上の事象が好きだ。ショーが好きだ。
来年は憂いなく気兼ねなく、もっといろんなところへ出かけてもっといろんなステージを観たい。心置きなく地方公演にも申込したい。
幕が下りて、劇場を後にする頃、私はすっかり前向きな気持ちでいた。一回しか行けなかった今年の虎者に悔いはない。うんと楽しい思いをさせてもらった。でも未来には、もっとあちこちで彼らの舞台を観たい。それは前向きな欲望だった。

 


第五波の最中に「ダメ元、ダメ元」と自分に言い聞かせながら申込をした時には、チケット倍率とは違うところで不安や、ひいては諦めの気持ちがあった。こんなの情勢的に行けなくなっても仕方ないよな、と何度も悲しみの予行演習をした。
先のことを楽観的に語るのはあんまり好きじゃない。ペシミスティックな性分だ。それでも、初現場を経て私がずいぶんと前向きな心持ちになったのは、これがただの楽観ではないからだ。私が感じ始めているのは、楽観というよりはむしろ決意に近い気持ちと欲望だった。 
こと来年は寅年で、Travis Japanの活動がどう展開する年になるのか今はまだ分からないけど、とにかく私はまたトラジャの現場に行きたい。これは決意と欲望の表明だ。
だって、名古屋なんて言ってしまえばすぐ隣町だし(新横浜の隣の駅だから)、京都だって観光も兼ねて絶対行きたいじゃん。最後に京都に行ったのは2019年の冬、MeseMoa.現場の遠征だ。広島も遠征や旅行で何度か行った地だけど、次はもう一度遠征で行くのもいいよな。広島は地酒も美味いんだ。
どう転んでも行けないからと見て見ぬふりをしていた地方公演の土地が、にわかに身近に思えた。

 

 

2021年、秋、一度だけだった私の現場。
いずれこんな行き方を「初々しいな、懐かしいな」なんて思う日が来るだろうか。あらゆる機会に当然全て申し込みをしちゃったり、全国どこへでも当たり前に行くようになっちゃったりなんかして。そんな日が来るだろうか。
今滅多に現場へ行かない理由はもっぱらCOVID-19なので、こればっかりは自分が頑張ったからといってどうにかなるものではない。それでも時が経てばいつかは、感染症と現場にまつわる様々な葛藤も過去のものになるはずだ。
その頃、私は今よりもきっと数歳年を取っている。
だけど私は、健康に生き延びるのだ。行こうと思えばどこにでも足取り軽く行けるように。欲望を傍らに抱えながら、私は健康に生きてやるのだ。これもまた、初現場を経て生まれた決意だった。
先のことは誰にもわからない。それに私が悲観的な質なのは、これからもそう大きくは変わらないだろう。それでもそれなりに、頑張って生きようと思った。生きて、また行きたい放題に現場に行ってやる。なんだか寿命が延びるような心地がした。

 

 


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*1:ここ一年半ほど通っているストリップは一切配信がなく、現場で見るより他ないステージなのだけれど、これについてはいずれまた別記事で……。

*2:「誰が推しなの?」と聞かれたら迷わず「川島さん」と答えることはできるけど、「如恵留さん」や「如恵留くん」とはとても呼べなくて、へらへらしながら「かーしまさん」と言ってしまう。