前にしか進めない

この一年と数か月、今まで通りに生活できないために具体的な困りごともあったけど、それとは別に、漠然としたしんどさがずっとつきまとって離れない。

 

始めのうちこそ、細心の注意を払って行動することに一生懸命になれた。非常時だ緊急時だと思えば気を張ることもできた。
手洗いうがいはもちろんのこと、オンライン飲み会だとか室内での運動だとか、やれそうなこと全てに前のめりになった。
でも、そんな一生懸命の生活を何か月も続けることはできなかった。50m走の走り方でフルマラソンはとても走れない。ましてゴールがどこか知らないのでは。
どうやら数か月やそこらで終息する話じゃないらしいと分かってからは、「先が見えない」という見通しだけが、息苦しい日々の中でどうにか比較的確からしいものだった。

 

一生懸命になれなくなったからといって、生活を営むのをやめることはできなくて、「仕方ない」とか「落ち着いたら」とか口にしてやり過ごすことが増えた。
目の前の行動に一生懸命になれなくなった分、先々のことを考えるようになった。
そして私が恐れたのは、時間が流れることだった。毎日毎日、日付だけがきちんと前へ進むのが恐ろしくなった。何もなせないままに時間が過ぎて、自分が老いていくのが恐ろしくなった。

 

 

自分自身が節目の年を迎えたり、両親が還暦を迎えたり、そんな時期だったことも相まって、年齢を重ねることについて、今までになく強く意識していた。
エイジズムに流されたくはなかったけど、人生のうちの数年間がこの情勢の中で費やされていくだろうこと、観念したつもりでもしきれずにいた。
いつか元通りに暮らせる時が来たとして、その頃にはもう若さに任せた無茶もできなくなっているだろう。行けるうちにもっといろんな場所へ行っておけばよかった。会いたい人に会っておけばよかった。
とりあえず食うに困ってるわけじゃないし贅沢言ってるよお前。そうも思ったけど、それでも打ち消せるものではなくて、後悔と諦めのない混ぜになった漠然としたしんどさに、幾度となく襲われた。

 

 

辛いばかりの時間の流れを少し肯定してやってもいいかな、と思えたのはごく最近になってからだ。
数年来推しているアイドルグループが、相次いで結成10周年と9周年を迎えた。

 

 

 

歳月を寿いだり、時間が経過するのを喜ばしく思ったりするのは、久しぶりだった。
みんな、よく生き延びてくれた。
この一年と少しの間、彼らはアイドルとして着実に活動を続けていた。(正直言うと、あれやこれやの時にはずいぶん気を揉んだり、もうこのまま終わっていくのかなと思ったりもしたんだけど。)
単に何とか忍んで持ち堪えたというのではなく、新しい積極的な動きがいくつもあった。
気持ちだけで何かを続けるのがすごく難しい時代に、アイドルでいることをやめずに前進するって、なんて途方もない覚悟なんだろうか。
四人と九人と、彼らの周囲の思いつく限りの全ての人々を祝福したいと思った。

 

時間って一定の速さで進むことしかしなくて、止めることも戻ることも全然できない。このやるせなさはどうしたって変えられるものではない。
でもそんなやるせなさの中で、あまりに手垢のついた言い方だけど、推したちの姿が本当に希望だし光だ。生きてるだけで尊いとはきっとこういうことかな。
二丁目の魁カミングアウトの皆さん、10周年おめでとう。
MeseMoa.の皆さん、9周年おめでとう。