Let there be light. (イルミィブログリレー)

 

2020年、夏。あらゆる演劇やライブで、観客を入れての公演が難しくなって数ヶ月が経つ。

 

まだ冬の寒さが残っていた頃は、「公演中止」として一切開催しないことがほとんどだったけど、このところさまざまな規模で「無観客配信公演」という形式が徐々に増えてきた、あるいは定着しつつあるようだ。

自分の目で実際に見たもの、記事だけで様子を知ったもの、そんなライブがいくつも頭に浮かぶくらいには、日々あちこちで配信ライブは行われている。

私はいつも生活感の消しきれない自室で、それらを静かに観ていた。

 

・客席に観客を入れられない

・スタッフの人員を抑えなければならない

・ステージ上で演者同士の距離を確保しなければならない

ライブにおいて感染症拡大防止を何よりも念頭に置いたとき、「観客を入れられない」はもちろんのこと、パフォーマンスを行う上でも、今までになかった制約が課されることとなった。

 

そんな中での「無観客ならではのやりかた」のひとつに、「客席にあたかも観客がいるように見せる」演出がある。

それはたとえば、無人の客席に人を模した何か(等身大パネルだのぬいぐるみだの)を置くとか、灯りを光らせるとか、あるいは要所要所で過去のライブ音源からの歓声を流すとか、そういうものだ。

 

それらが実際、各配信ライブでファンにどのように受け止められてきたのか、私はあまり知らないけれど、 無人の客席にペンライトを模した明かりを灯すのは、わざとらしいというかどこか子供騙しのようで、あんまり好ましいと思えなかった。先日までは。

演出の一環であるあれらの装置に、普段キンブレを振る自分自身を仮託することを強く求められているようで、なんだか押しつけがましさを感じていたのだ。

 

6月27日。

予定通りの興行が叶わなかったMeseMoa.の全国ツアー「GALAXY.5」が、無観客配信の形でようやく開催された。

本来の初日は4月中旬だった。年明けから詳細を徐々に発表していく中での、情勢の悪化と自粛要請。何しろ日頃から(文字通りの)顔の見える運営であるだけに、彼らの心労いかばかりか、と胸を痛める日が続いていた。

 

無観客であること、日替わりソロを全て一回の公演に盛り込むこと、等々。
当初の予定とは幾分違った形で幕の上がったツアーの、その客席には色とりどりのライトが灯されていた。

1曲目の時点ではそんなにはっきりと映ることもなく、「あれ?客席にライトつけてるのかな?」程度だったけど、2曲目に入ってから「これマジで明かり灯してるんだ」と確信を持った。

 

そして初めて、それらの灯りを好ましいと思った。

 

ステージに立つ人の目に写る光景を、私は想像することしかできない。

だから、想像してみる。

実際には経験しえないその光景を想像したとき、2020年夏の私が思うのは、無人で灯りの一つもない客席よりも、色とりどりのライトがたくさん散らしてあったなら、その方がいくらか寂しくないんじゃないだろうか、ということだった。

 

だって、今まであんなに客席を夢中にさせるパフォーマンスを行ってきた彼らの目に、真っ暗でがらんどうの客席が映るのを思うと、それはあまりにも忍びない。

ライブ中の彼らの表情が、まるで無観客なんて嘘だったみたいに、いつもどおり観客の反応を楽しんでいるように見えたから、なおさらのことだった。

 

あの手の演出を、一様に押しつけがましいものだと思い込んでいた自分を恥じた。

そして改めて、彼らの現在と行く末が、どうか少しでも曇らぬようにと願った。今までだってそんなことは何度となく願ってきたのに。

 

彼らの現在に、未来に、光があるように。

有形無形のあらゆる光があるように。

 

願いなのか祈りなのか、よくわからないけど、とにかくそうあってほしい。

そこに光がありますように。

 

 

参考リンク

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