部屋からはじまる、奇跡と夢の旅路

MeseMoa.パシフィコ横浜公演からひと月半ほどが経ったところで、感想文をしたためておく。
(前回のお雑談RRが、サブパれおぴ・ゲスト野崎さんという顔ぶれで、パシフィコ公演を振り返る内容だったことに触発されたため。)

 

ライブって結局何なんだ?

いつの頃からか、「◯◯さんって休みの日何してんの?」と聞かれたときに「ライブ行ったりしてますね」と返すようになった。たいていは「意外」とか「イメージわかない」とか言われてしまうけど。
チェキ会をはじめとして、聖誕祭やお食事会やあるいは外部のお芝居やら、私たちオタクが「現場」と称するものは色々あるけど、ライブってやっぱりそれらの代表格だと思う。私はライブが好きだ。


では、私がこうもライブを愛好する理由っていったい何なんだ?私はいったいライブの何に魅了されたのだろうか?
答えはたぶん、ライブの最中に「ああやっぱりこれだよ」と感じてしまう「アレ」そのものなんだと思う。
interactivity(双方向性)
これは別に、「名前を呼んでコールをする」だとか「レスをもらう」だとかの具体的な行為ではなくて、もっと無形の何かであると私は思っている。時と場所を同じくすること。ステージのあちらとこちらという大変な違いはあるんだけど、今リアルタイムで同じ場所で、ひとつの曲を介して確かに互いを認識して向き合っているという感覚。それを感じる瞬間が、ライブのひとつの醍醐味だと思うのである。
(話が逸れるので深入りはしないけど、この辺りが演劇とライブの大きな違いでもある。)

 

パフォーマンスとキャパシティ

パシフィコ横浜国立大ホールのキャパシティは5,000人。Maze No.9ファイナルのTDCホール(3,000人)と比較しても格段に大きい。

この大きな会場でのライブがいよいよとなった7月末、私はこんなことを書いた。

いみじくもつい先日野崎さんがブログで言及していたように、会場が大きくなる(ステージから客席までの最大距離が長くなる)ことで、ライブの質が変容する、もっと言ってしまえば「ライブがつまらなくなる」ということは往々にして起こる。 しかしながら、MeseMoa.のライブについては、それは杞憂だった。というのがセミファイナルまでの結論だ。先のブログに、その確証を得たようにも思う。

展望台にのぼる前に - 骨と心と作文帳

※野崎さんのブログ(2019年7月28日)……MeseMoa. 公式ブログ - 海を見渡す話 - Powered by LINE

 

恥ずかしい話、こんなブログを書いていながら、「パシフィコの2階席やや後方ってのは、果たしてどんなもんだろうか」という、懸念や不安とまではいかないけど、なんとなく訝しむような気持ちを抱えて私は8月4日を迎えた。
絶対面白いぞっていうライブの中身に対する確信はちゃんとあるけど、決して見やすい席ではないこともじゅうぶん分かっていたから。
で、まあ、やはり位置的に決して見やすくはなかったわけ。だけど、確信していた以上に楽しかったし、ステージ上の大型モニタのおかげで座席の不利な分を補って余りあるほどいろんなものがちゃんと見えた。(あれは実によいカメラワークでしたね。)

大きなホールで歌って踊る彼らは、今までよりもっと眩しかった。それと同時に、不思議な安心感があった。1曲目が始まるまでの演出に「うわあ、見たことないかんじのステージだ、初見だ初見」と緊張にも似た気持ちになったけど、やがてラブチアと自己紹介MCあたりで「あー、MeseMoa.だわこりゃ」って急に安心したのである。
先に述べたような双方向性だって、やっぱり感じることができた。9人と5,000人で、私たちはそれを感じていた。

最後の挨拶で、メンバーのひとりが「僕たちにはもったいないようなセットや照明が用意されて……」というような言い回しをした。
「あなた方にとってこのステージは、全然ちっとも身の丈に合わなかったりもったいなかったりするものじゃなかったよ」と、それを聞いた私は思った。これはツアー中も毎回のように感じていたことでもある。(ファイナル前のツアー通常公演でも、会場は全てホールで、照明含むセットあり、カメラ複数台にステージ上モニタあり、とまあなんていうかハード面でお金のかかったライブだった。)

5月から始まった Ch8~チャンネル8~ という航海の一旦の終わりは、5,000人というキャパシティに一切負けないライブだった。
そして、「航海の終わり」というフレーズを今打ち込みながら、私が思い出すのは2018年末のMazeツアーファイナルである。「ここはまだゴールじゃない」

この先の奇跡に どこまででもONで行こう

 

蛇足